「三千子」~ 記憶に残らない女⑥
近藤は言った。
「俺さあ、ほんの短い間だったけど、三千子とつき合ったんだよ」
「男女の関係か?」と俺は訊いた。
近藤は「もちろんさ」と応えて、「けど、ただの遊びだったんだ。丁度、女と別れた直後だったからな」とにやっと笑った。
「三千子は、近藤の誘いに乗ってきたのか?」
近藤は遊び人だ。何人もの女が陰で泣いていると聞いたことがある。
「いや、そんなに簡単じゃなかった」
「近藤でもか」
近藤は女を誘惑することに長けている、そう自分で豪語していた。学生時代、女をひっかけて失敗したことはない、100%成功している。そうも言っていた。
「だがな・・」
近藤はイヤな物でも噛んだような顔をして、
「中谷の名前を出すと、すぐに誘いに乗ってきたんだ」
「俺の名前を?」
三千子が、俺の名を聞いて、近藤の誘いに乗った・・
その言葉で、少しずつ、俺は三千子のことを思い出してきた。
学生時代、三千子は、俺が何気なく見た女性の体型を気にして、痩せたり、太ったりを交互に繰り返していた。
それは体型に限ったことではない。
ある時は、派手な女の子が俺の好みだと勝手に思い込み、派手な衣装に身を包んだり、又は、その逆の時もあったりした。
そんな繰り返しの中、どれが本当の三千子の姿なのか、分からなくなっていった。
それが、三千子が記憶に残っていない原因なのかもしれない。
次第に俺は、そんな三千子を疎んじるようになっていた。
つき合って、二年。それほど、長く関係が続いたのは、俺の好みに合わせて、変化する三千子と一緒にいることが心地良かったのかもしれない。俺にとっては、男冥利だったのだろう。
だが、そう思っていても、終わりは迎えるものだ。
どうして、俺が三千子と別れようと思うようになったのか?
それは、俺の只の一方的な都合だった。
当時、俺は、大学のゼミの大学教授の進める縁談話に乗りかけていた。
相手は、一流企業の重役のお嬢さんだ。
俺は、人生の成功コースを歩み始めていた。もちろん、三千子には黙っていた。
紹介された女性は魅力的だった。
三千子と同じように、髪が長かったが、雰囲気は全く違った。明るい女性だ。
俺の中に、未来に向かっての光が差したようだった。
そんな昇りしかないエスカレーターの中では、三千子はただの邪魔者でしかなかった。
だが、別れ話をするような機会は中々訪れなかった。
その理由・・三千子がそうさせなかったのだ、
少しでも、そんな話の素振りを見せると、三千子が他の方向に話題をそらす。
中々切り出せない。我ながら男らしくないと思った。元々、何かの決め事を人に話すのは苦手な方だった。
だったら、会わなければいい・・そう思う。
だが、そうもさせてはくれなかった。
三千子はどんな時にでも会いに来る。怖いくらいに会いに来る。
俺が病気で寝込んでも、間借りしていたアパートに押しかけて来ては看病する。大学でも、大学でも授業が終わるまで待っている。
そんな日々の中、歳月は、あっという間に過ぎ去っていった。
市村三千子は、
記憶に残らない女ではなく、一番忘れ去りたい、記憶から消し去りたい女だった。
そんな俺の中で、一つの考えが浮かんだ。
小さな考えは、日を追う度に、大きくなっていった。
三千子が邪魔だ・・消えてくれればいい、と。
近藤が、三千子を関係を持っただと?
そんなはずはない。絶対にだ。
それは俺が一番よく知っている。
・・俺は、記憶を呼び戻していた。