小原ききょう(創作家)

長編小説や詩、エッセイなどを「エブリスタ」「ツイッター」等で書いています。

「三千子」~ 記憶に残らない女②

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◆深夜のファミレス

 

 雨の夜だった。

深夜のファミレスで 俺は久しぶりに会った大学時代の友人と食事をしていた。

 遅い時間ともいうこともあって、家族客はおらず、店内は閑散としていて静かだった。おまけに、外は長雨だ。時折、雨宿り代わりに一人客が入ってくる。

 一時しのぎのせいか、オーダーもコーヒーなどの飲み物ばかりで、ウェイトレスは暇そうにしている。

 

 向かいに座っている友人は、近藤といって、大学のゼミで一緒だった男だ。

 互いに近況を報告し合った後、近藤は女の話を始めた。近藤は学生の頃から女遊びが派手だったことで有名だった。

 近藤は自分の話を一通り終えると、こう切り出した。

「なあ、中谷」と俺の名を呼び、

「あの子、憶えているか?」と訊いた。

「あの子って?」

「あの子だよ。市村三千子、おまえ、学生の頃、あの子とつき合っていたよな?」

 久しぶりに会った友人から三千子の名前を聞いた時、誰の話なのか、咄嗟に思い出せなかった。

三千子(みちこ)とは、大学生の時、二年間つき合っていた。

 大学四年間の内の二年間は大きな数字だ。決して短い期間とは言えない。

 春夏秋冬が二度繰り返す。

 三千子は、友人から紹介された。年は一つ下だった。

 少し暗い雰囲気のする女性だった。女の子ではなく、大人の雰囲気を持っていた。

 とりたて、目立つほど綺麗ではないが、時折、ドキッとするほど、美人に見える時があった。

 近藤のようにさほどモテない俺は、そんな三千子とつきあい始めた。

 

 だが、つき合っていた時、どこに行ったとか、何を食べたとか、何を祝ったのか、まるで思い出せない。どれほど深い関係だったのかもよく思い出せない。

それに、彼女とつき合っているという事実を忘れてしまうこともしばしばあった。

合コンに誘われ、参加をOKした時など、「中谷には彼女がいたじゃないか」と言われたこともあった。

 そんな風に、三千子と過ごした日々は、何かしらふわふわとしたような感覚があった。

 

 更に、三千子のことを思い出そうとすると、何かでつっかえてしまう。心の中に、何かの壁があるみたいだ。

 三千子と過ごした二年間だけ、二人の時間だけが、ドロップアウトしたみたいに、記憶が欠落している。

 

「おまえ、市村とつきあい始めた頃、俺に自慢していたじゃないか」

「そうだったかな?」

「ほら、映画・・何ていう題名だったか忘れたけど、向こうから手を握ってきたって、お前、言っていたぞ。俺は、そんな話は聞きたくもなかったがな」

 そうだったのか・・

 だが、近藤が憶えているのに、当事者の俺がよく憶えていない。当然、三千子と見に行った映画の題名など、全く憶えていない。映画に行ったのは、一回だけだったのか、それとも何度も行ったのかもわからない。

 俺は、この年で健忘症なのか? まだ30代だぞ。

 いや、頭は正常そのものだし、体に悪いところなど一つもない。

 

 市村三千子・・どうしても彼女の思い出だけが引っ張り出せない。 

 そんな女と、どうして、そんなに長く、二年間もつき合うことが出来たのか?

 

 その原因を手繰り寄せていくと、

 一つのことに気づいた。

 それは、三千子がいつでも俺の要望に応えてくれていたからではないだろうか?